「政治的」じゃない僕、ただ本が作りたい 東京で出版社開 業の中国人「政治的」じゃない僕、ただ本が作りたい 東京で出版社開 業の中国人 黒 田 早 織 2 0 2 4 年 8 月 1 1 日 7 時 0 0 分 国内で、中国人による中国人向けの書店や出版社が次々と開業している。「潤(ルン)」と呼ばれる中国富裕層らの流入や、日本に根付いた中国人社会の成熟ぶりを象徴する現象で、関西にも広がりつつある。日本での商機を見いだした人、自由な活動を求めて来日した人。理由は様々だ。 がらんとした雑居ビルの一室に置かれた、最低限の机と椅子。壁際には新品の本が積み上げられている。中国語の書籍の出版社「読道社」は昨年から、東京都日野市に事務所を構える。 立ち上げたのは張適之さん(47)。北京の出版業界で約20年働き、年間売り上げが7億元(約141億円)の国営出版社で副社長まで務めた。 来日は3年前。中国で小学校に通う2人の娘が、朝から晩まで勉強に追われる姿に「将来、この子たちを熾烈(しれつ)な大学入試競争にさらしたくない」。より良い教育環境を求め、旅行に来て好印象だった日本へ一家で移住した。 中 国 人 向 け の 出 版 社 な ぜ 日 本 で ? 自身も、北京での仕事に手詰まり感を覚えていた。政治とは無縁の生活を送ってきた。ただ、母国で仕事や日常生活で交わす会話は、中国社会に対する肯定的で聞こえの良い言葉ばかり。中国の急速な発展を体現していて素晴らしい、民族の自信を強化できて価値がある。そんな言葉を耳にする度、息苦しさを感じていた。 今、中国では、ポジティブであることを意味する「正能量」なニュースや作品が評価される傾向にある。現実社会の問題を覆い隠してしまうのではと、出版人として違和感があった。 来日当初、周囲には、日本で中国人向けの出版社なんて成り立たないと言われた。 だが昨年、偶然参加した東大の公開講座に、教養を求める数百人の中国人が教室にいる光景に衝撃を受けた。質の高い中文書を日本で出すニーズを感じた。 「多分、20年前の貧しい若者が単身で出稼ぎで来日していた時代なら、誰も本なんて読まなかったでしょう」 読道社はこの半年で、独自の視点で近代史を描く本や、亡き人を悼むエッセーなど3冊を刊行。いずれも政治がテーマではないが「当局の歴史解釈と微妙に異なる」「作者が天安門事件の追悼イベントに参加した」などの理由で中国では出版しづらいという。 自らが出した本のページをめくる張さんの表情は、本への愛に満ちている。「政治的な本を出したいわけじゃないし、出すつもりもない。ただ出版人として、30年後に振り返っても価値のある本を自由に出したいだけ」 各 地 で 相 次 ぐ 中 国 人 向 け 書 店 の オ ー プ ン
ほかにも、中国人による中国人向けの書店の開業が相次いでいる。 昨年6月、早稲田大の近くに開業した「遇見書房」(東京都新宿区)。月額2500円の「会員制貸本屋」で、オーナーの李英緒さん(34)によると、主な会員は留学生や日本で働く中国人のべ約160人。会員は店内の自習スペースを自由に使えるほか、作家らとの交流イベントに参加できる。李さんは同店を「文化的なものに関心がある中国人のコミュニティーでもある」と話す。 自身は10年前に留学生として来日し、大学院で経営管理学の修士号を取った。文化を扱う中国人向けビジネスのニーズがあると踏み、開業に至った。 「今や多くの在日中国人は学歴と安定した職がある。お金やビザ更新に頭を悩ます必要がなく、文化を楽しむ余裕があります」 昨夏には、北京や上海に8店ある「単向街書店」も東京・銀座にオープンした。 店内には上野千鶴子氏や宇野常寛氏など、日本の著名な人物に関連する中国語の書籍が多く並び、週末には関連する様々なイベントも開催。留学生や経営者など、アカデミズムやカルチャーへの感度が高い中国人に人気だ。 日本での商機を見いだして開業した人が多い一方、母国で監視の強まりを感じ、日本に移住を選択した人も。神保町の「局外人書店」(東京都千代田区)のオーナー趙国君さん(52)は、北京で約20年続けてきた文化人向けサロンの運営を断念し、2年前に来日。借りられる物件がなかなか見つからず苦労したが昨冬、開店にこぎ着けた。 古典の朗読会や日本の政治経済を学ぶ講座などのサロン活動をメインに据える。「中国もだめ。香港ももうだめ。自由な言論を求める中国人が東京に集まっている」と趙さん。書店の増加はその象徴だと話す。中国語の書籍に特化した書店の開業の動きは、京都や大阪でもあるという。(黒田早織) 背 景 に あ る の は 「 中 国 人 コ ミ ュ ニ テ ィ ー の 成 熟 」 ? コロナ禍後の中国で、資産の保護や良い教育環境、自由な言論などを求める富裕層らが国外移住する現象は「潤(ルン)」と呼ばれる。中国語読みの「ルン」と、英語で逃げることを意味する「run」をかけた言葉だ。 東京大の園田茂人教授(中国社会論)は、書店などの相次ぐ開業は、こうした動きと呼応したと分析する。 中国が経済的に発展した1990年代以降に来日した文化的・経済的上位層の中国人やその子供らが日本に根付いた中、さらに潤により日本への移住が進んだ。日本語が達者でない移住者もいる中、中国語による情報の需要が生まれたのではないかと指摘する。 園田教授は「学歴や文化水準が高い在日中国人層の分厚い蓄積がすでにある中、瞬間風速的な『潤』があいまった。書店の出現は、日本の中国人社会の成熟を表している」と話す。 出入国在留管理庁の統計によると、日本に住む中国人(2023年末時点、台湾を除く)は82万人。このうち、在留資格別では多い順に「永住者」33万人、「留学」13万人、高度人材を含む「技術・人文知識・国際業務」9万人と続く。(黒田早織) |